2026年10月14日推しの戦国武将
推し武将・島津義弘のこと。関ヶ原の「退き口」に胸が熱くなる
南九州に住んでいると、「島津」の名前はとても身近です。
その中でも、わたしの推しは島津義弘です。
関ヶ原の戦いで
1600年の関ヶ原の戦い。義弘は西軍として、この戦いに加わっていました。
戦いの大勢が決まり、西軍が崩れていく中、島津の軍勢は戦場に取り残される形になります。
ここで義弘たちが選んだのは、後ろに逃げることではなく、前に向かって、敵の中を突っ切って退くことでした。
これが、いまも語り継がれる「島津の退き口」です。
多くを失って、それでも帰った
この退却では、多くの家臣が命を落としたと伝えられています。
それでも義弘は、薩摩に帰り着きました。
どれほどの覚悟だったのか、わたしには想像もつきません。ただ、その話を読むたびに、胸が熱くなります。
今も続く「妙円寺詣り」
鹿児島には、この関ヶ原の苦労をしのんで、義弘をまつる場所まで歩いてお参りする「妙円寺詣り」という行事が、今も続いています。
400年以上前のことを、今も地域の人たちが大切にしている。そのこと自体が、わたしはとても好きです。
ひとこと
戦国武将というと、天下を取った人に目が行きがちです。
でも、負けた側にも、守りたいものがあった。義弘の話は、そのことを思い出させてくれます。
※ 関ヶ原での島津家の動きには諸説あります。わたしが読んだ本や伝承にもとづいて書いています。
